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2023_0319_155406 九条跨線橋

写真: 2023_0319_155406 九条跨線橋

写真: 2023_0319_155719 東山橋 写真: 2023_0319_155214 九条跨線橋

JR鴨川橋梁が位置的には八条通になり、
その南の九条通の鴨川を渡る橋が九条跨線橋になります。
こちらはこれまでの上流の橋(単独の橋)と異なり、
西から鴨川・師団街道・琵琶湖疎水・JR奈良線・京阪本線を一気に跨ぐ高架道路(九条跨線橋)の一部になります。

できたのは昭和14年で、市電とJRや京阪との平面交差を避けることが一番の狙いだと思われます。
この区間の開通で京都市街の外周をぐるりと一周しその中に網目の路線有する市電の路線網が完成しました。

市電(軌道←ゆっくり走る)は「鉄道←高速で走る」とは法的にも平面交差できず、京都駅東側の高倉跨線橋、千本七条のアンダーパスなど立体交差を図っていましたが、この区間についても「鉄道」である省線(→JR)の奈良線とは法的に平面交差できないため、周辺を含め連続立体交差となったと考えられます。

幸いここでは省線のおこぼれで京阪も市電とは立体交差になりましたが、市電は京阪とは東山三条・四条大橋東詰・七条大橋東詰・伏見稲荷の4か所で平面交差していました。京阪は法的には軌道(←ゆっくり走る路面電車)扱いのため平面交差が許容されていましたが、
京阪を含め、明治末期に開通した私鉄は、ある意味法の盲点をついて開業させたという側面がありました。
というのは、鉄道国有法で民間鉄道が国に買収されて今更民間鉄道なんてとても鉄道省には認可されない、という環境の中で、建設省管轄の軌道=路面電車(道路の一部と見做される)を作ります、街中の下駄代わりで鉄道とは競合しません、ということで建設省に認可してもらい、路線のどこか一部が道路と接してれば路面電車と見做しましょう、という拡大解釈をしてもらって作った、路面電車という名の実質「高速鉄道」でした。

そこまでして民間鉄道を敷いた人たちの頑張りが
今のJRも私鉄も並行して走って、切磋琢磨されて便利で質の高い鉄道ネットワ-クに繋がっているので、感服しますけど、

やっぱり無理の歪はどうしても出て来るもので
案の上、郊外で急行電車のスピードの上がる伏見稲荷で2回も衝突事故を起こしたり、七条と四条の平面交差により架線電圧が600Vに制限されたことが輸送力増強の致命的なネックになり後々の高度成長期にまで悪影響を及ぼすことになりました。

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コメント (1)

  • キューチャン

    みちのく三流写真家さん
    ☆ありがとうございます。

    2024年1月27日 22:57 キューチャン (36)

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